設立経緯
鋼構造物への溶接は1920年代頃から盛んに用いられるようになったが、1930年代にヨーロッパで溶接橋が脆性破壊した事故や、第2次大戦中にアメリカで建造された溶接船の事故などが契機となり、その原因究明が進められた結果、溶接構造物に使用される鋼材の品質改善が促進されることになった。
日本では、戦時中とだえていた諸外国の溶接技術を吸収し、溶接用鋼材の改善、進歩を図ってきた鉄鋼各社の努力の結晶として、1958(昭和33)年頃から溶接用高張力鋼板が次々と開発された。これらの鋼板は、圧力容器、橋梁などに使用され始めたことから、利用者、製造者にも便利な規格化を図る機運が高まってきた。
日本溶接協会では、1958(昭和33)年度後半、防衛庁から艦船用HT60鋼の研究と防衛庁規格作成の受託研究を進めることになり、1959(昭和34)年8月、木原博委員長のもとに「HT委員会」が正式に発足した。関係鉄鋼メーカーが研究に協力し作成した原案をもとに、1960(昭和35)年12月、WES-135-1960「溶接構造用高降伏点鋼板規格」が制定され、これが後のWES3001「溶接構造用高張力鋼板規格」として改正され、今日まで使われている。
さらに、各種高張力鋼板の開発にともない、それらの共通課題として溶接構造物の脆性破壊防止をとりあげ、その判定基準作成のために、1960(昭和35)年5月、木原博委員長、金沢武副委員長のご指導のもと、「鉄鋼研究委員会」が発足した。この成果は、WES-136-1961「低温構造用鋼板判定基準」として制定され、その後WES3003に改正され、現在も使われている。1962(昭和37)年には、第二次鉄鋼研究委員会として引き継ぎ「低温構造用鋼板の開発およびその材質判定基準確立に関する研究」が進められた。
また、1962(昭和37)年には、安達良夫委員長のもと超高張力鋼研究委員会(UH委員会)が発足し、当協会内における溶接用鋼材の研究はわが国の中核を成すに至った。
以上の如く、1959(昭和34)年度に発足したHT委員会から、第一次および第二次鉄鋼研究委員会、超高張力鋼研究委員会に至るこれら一連の研究、規格化活動は、木原先生、金沢先生、安藤先生、稲垣先生等の御指導のもとに鉄鋼メーカを中心に進められてきたが、1963(昭和38)年、部会設置の機運が熟したとして設置準備を行い、協会理事会での承認を得て、1964(昭和39)年4月1日、鉄鋼部会が正式に発足した。