日本溶接協会 設立の経緯

 1920年代、イギリスで電気溶接を採用した全溶接外航船が建造され、造船の溶接技術は飛躍的に進歩しました。
日本で全溶接外航船「諏訪丸」が進水したのもこの頃です。
日本の溶接技術は世界的にも進んでいる時代でした。

溶接を取り入れた機雷敷設艦「八重山」
日本初の全溶接船「諏訪丸」

 ところが、1935年に「第四艦隊事件」が発生しました。演習中の日本の艦隊が台風に遭遇し、多くの艦船が大破したのです。
これを受けて、日本海軍は重要な部分への溶接を禁止しました。

 同じ頃、海外ではリバティ船「スケネクタディ号」などで折損事故が相次いで発生しました。
溶接の使用を禁止した日本とは対照的に、この溶接欠陥の原因を究明し、全溶接船の建造を確立させました。

リバティ船「スケネクタディ号」
折損部分の断面図

 終戦後の1947年、日本の造船技術を調査するため、アメリカから「キャムベル調査団」が来日し、造船所や研究所を視察しました。その際、
「戦時中から戦後にかけて、日本の溶接技術の進歩は止まった。この間にアメリカの技術は30年分進歩したので、30年のギャップが生じた」
と指摘されました。

来日したキャムベル調査団

 この指摘を受け、日本の産業復興のためには、産・官・学が一体となって力を合わせなければならない、という機運が高まり、日本の産業を支える溶接技術を確立するために、日本溶接協会が設立されました。

協会年表

1949

11月26日社団法人日本溶接協会として正式に発足
溶接技能者検定試験開始

1949年に発行された溶接技量証明書
1951

第1回全国溶接技術競技会開催

1962

IIW(国際溶接学会)に加盟

IIW(国際溶接学会)とは

 IIWは世界一の規模を誇る溶接・接合関係の国際会議です。
 詳しくはこちら

1969

第22回IIW年次大会を京都で開催
第1回国際ウエルディングショー開催

第1回国際ウエルディングショー
(東京晴美国際貿易センターにて)
1972

溶接施工技術者(現・溶接管理技術者)資格認定委員会設置

1998

(公財)日本適合性認定協会(JAB)から要員認証機関の認証を取得(日本初)

JAB認定証授与のようす
2004

AWF(アジア溶接連盟)設立、初代会長に当協会宮田隆司会長が就任

2005

タイ・フィリピンと溶接管理技術者認証の協定締結
溶接情報センターが稼働開始

2012

溶接会館竣工

2013

一般社団法人へ移行
溶接会館図書室オープン

2015

第1回次世代を担う研究者助成事業を開始

2017

若年者・女性向けWebサイト「溶接女子会」オープン

2019

創立70周年記念事業として日本溶接協会マイスター制度を開始

第1回認定式
2020

3D積層造形技術委員会設立

2021

Web申請システム「e-Weld」を溶接技能者から開始

2022

IIW年次大会・国際会議を東京で開催